青志社

向谷匡史/著 『老いに歎異抄』

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老いに歎異抄
向谷匡史/著
『老いに歎異抄』
人生100年時代。70代は「人生のリセット期」それを踏まえてこの先、どう生きるか

発行日: 2024年6月22日
定価: 本体1,500円+税
サイズ: 四六判並製
ページ数: 256ページ
ISBN: 978-4-86590-158-0

【内容】


私たちは歳を重ねても迷いの世界から逃れられない
晩年が最も大切なのはなぜなのか

その答えが『歎異抄』の中にある、と著者は言う。
作家であり浄土真宗の僧侶でもある著者によって、実に分かりやすい実例を挙げながら解説して私たちに問いかけてくれる。

特別収録
とても読みやすい『歎異抄』全文と現代口語訳

生き方の決断をせまられる「老いの壁」
人生は百年時代を迎えました。かつて隠居の歳であった七十代は、社会の担い手としての役割が求められるようになりました。七十代を「人生のリセット期」とするなら、それを踏まえてこれからの二十年、三十年をどう生きていくのか。
連れ合いを失い、これから迎える晩年に不安をいだき孤独な生活をしている人も少なくありません。
老いの悩み、迷い、葛藤しつつ「生き方」の決断をせまられるのが晩年でしょう。
そんなとき、決断のよりどころになるのが『歎異抄』です。
――はじめにより


私たち人間は一人では生きていけませんが、死ぬときは一人です。
たった一人です。
そして、誰もが必ず死んでいきます。誰に代わってもらうこともできません。自分の意志と関わりなく生まれ、自分の意志と関わりなく死んでいく―これが生きとし生けるものの実相です。
ところが、私たちは誰もが死んでいくというこの現実を、容易には受けいれることができません。死を実感として理解できないからです。脳にがんが転移して亡くなった友人に対したときでさえ、死ぬのは彼であって、私はいつまでも死なないものと無意識に思っています。
だから、いざ大病して死に直面しようものなら奈落の底に突き落とされたような絶望感に苦しみます。
(略)
『歎異抄』において唯円は親鸞の言葉を引き、親鸞の教えを反芻(はんすう)し、私たちが生きて死んでいくということのすべてが、「南無阿弥陀仏」というわずか六文字の念仏に込められていることをあきらかにしました。『歎異抄』の一言半句を咀嚼するたびに、触発され、執着から離れられない自分が照らしだされていく。
ここが『歎異抄』の魅力であり、時代をこえて読み継がれるのは、そういう理由によるのだろうと、私は本書を執筆しながら改めて思うのです。
――本文より



【目次】

老いに歎異抄〈目次〉

はじめに

「悪人正機」という逆説
『歎異抄』が私たちを惹きつける理由はなんでしょう
「生き方」の決断をせまられる「老いの壁」

第一章 迷いの壁
仏法を「生き方論」として読み解く
世の中は不平等で当たり前
苦悩は誰しも平等である
欲望に身を焦がして生きていないか
煩悩のメカニズム
人生、なぜ選択で迷うのか
同居と「ビュリダンのロバ」
悪人正機、悪人とは私たちのことを指します
人は偽善から逃れられない
私たちが持つ虚飾の仮面≠剥がす
「自責の念」から無意識に逃れようとしていないか 
最悪を覚悟すれば人生、怖いものなし

第二章 ひとり暮らしの壁
不安は押さえこめない 
不安の原因は自分の「思い」にある
積極的なあきらめ≠熾s安から解放される
老いに大事なことは「明日」ではなく「今日」をどう生きるかにある
親鸞は現実を敢然と受けいれて生きて来た
過去の栄光は過去のもの
身の丈こそが本当の自分の姿である
親鸞の「非僧非俗」の精神
墓前のお勤めで思うこと
価値観に「絶対」はない
「薔薇と棘」のたとえ
すべてのものが空言、戯言であることを知る
「嘘っぱち」と「公平」の身勝手な関係
親鸞の逆説的言い回し
人生は晩年が最も大事なのは何故か
誰もが持っている幸・不幸の種
ひとり暮らしという孤独をどう生きるか

第三章 執着と懐疑の壁
「我が名を称えよ、必ず救う」の持つ意味
日々の人生に追われていないか
当たり前だけど人生、急ぐべからず
自分が信じる道こそすべて
幸と不幸の比率、「51対49」という人生観
自分はそう悪くない人間と思うのは間違い
人生は「無数の縁」の集合体
人生は、つねに「再スタート」を切れる 
現状維持は楽だが「新あらた」に踏み出す勇気も大切 
誰もの心にひそむ蛇蝎
誉める人、悪くいう人
世間体を無視できるか
地獄や極楽は本当にあるのか

第四章 人間関係の壁
嫁と姑の確執
「自問、自答」の落とし穴を探る
身近な人間関係に縛られない
怒ることの愚
楽に生きる秘訣 
お世辞というスキルを養う 
人格はすべての力に勝る
縁は黙って引き受けるもの 
離婚も「縁」と知れ
騙されても後悔せず 
慶びに満ちた人生

第五章 老いと死の壁
さとりとはなにか 
「迷惑」は生きている証 
死とは「縁」がつきること 
死は高僧も恐れた 
真実と方便について 
生きる希望の言葉 
思いのまま助けることは不可能だ 
私たちが持っている傲ごう慢ま んな心 
時代をこえて読み継がれる 

特別収録『歎異抄』原文と現代口語訳 


【著者プロフィール】

向谷匡史 むかいだに ただし

一九五○年、広島県呉市出身。
拓殖大学を卒業後、週刊誌記者などを経て作家に。
浄土真宗本願寺派僧侶。日本空手道「昇空館」館長。保護司。
主な著作に『田中角栄「情」の会話術』(双葉社)、『ヤクザ式最後に勝つ「危機回避術」』(光文社)、 『安藤昇90歳の遺言』(徳間書店)、『子どもが自慢したいパパになる最強の「お父さん道」』(新泉社)、 『小泉進次郎「先手を取る」極意』、『太陽と呼ばれた男 石原裕次郎と男たちの帆走』、『田中角栄の流儀』、『熊谷正敏 稼業』、『渋沢栄一「運」を拓く思考法』、『二人の怪物』、『安藤組外伝 白倉康夫 殉心』、『還暦からの才覚』、『安藤昇と花形敬』(青志社)など多数ある。

[向谷匡史ホームページ] http://www.mukaidani.jp

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